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英霊といわれる人の過半は「餓死」「病死」者 [歴史]

靖国神社に参拝する議員どもがよく口にする
のが、「わが国の平和のために命を捧げた英
霊に尊崇の誠を尽くす」という言葉である。
ちょっと待ってくれ。太平洋戦争で散った英
霊たちの過半は、連合軍に殺されたのではな
い。食料が無くて餓死したか、薬が無くて病
死したか、のいずれかである。

旧日本軍の最大の欠点は「兵站」という概念
に欠けていたことである。戦国時代、豊臣秀
吉が強かった理由は、兵站の才能に恵まれた
家臣が居たことにある。今、大河ドラマに出
ている「石田三成」や「大谷吉継」は正に兵
站の天才であった。彼らが兵糧や弾薬をしっ
かりと用意し、前線に運んでいたからこそ、
小田原城攻めなどの遠征でも支障が出なかっ
たのである。しかし、この天才が居ても、海
を渡って戦った朝鮮戦役は兵糧が不足し、遠
征軍は苦しめられた。それは、制海権を確保
できず、輸送手段がしばしば停滞したからで
ある。海を渡って戦うというのは、大変困難
なことなのである。

まして太平洋である。島の争奪戦で、島に食
糧が大量に備蓄されている事はまず無い。現
地調達は出来ないのである。しかし、兵站と
いう概念が薄い軍部は、高速輸送船で物資を
運ぶだけで、その輸送船を十分に守るという
ことをしなかったために、戦争の早い段階で
その多くが沈められ、すでに船舶不足になっ
てしまっていた。食糧も弾薬も無い状態で、
どうやって戦うのか。

結局、マラリアや飢餓によって亡くなる兵士
が続出した、というのが太平洋戦争の現実な
のである。英霊などと持ち上げても、やせ衰
えて亡くなった方々への供養になるとは思え
ない。二度とこういう戦争はしない。飢え死
になどはさせない。そういう決意こそ必要で
はないか。まして、合祀されているA級戦犯
なんて、戦死者でもない。刑死した罪人では
ないか。そんな人々を「尊崇」するのはやめ
るべきである。


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