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傲慢の罪 [怒!]

最近、国会中継を見ていて、どうにも自民党
(特に総理)の傲慢さが鼻につく。所信表明
でスタンディング・オベーションを仕掛け、
その後の答弁では、民主党政権時代と比較し
て「あなた方の時代より良い結果を出してい
る」と批判する。アベノミクスなど、経済が
少しだけ好転しているのは彼の政策というよ
り「たまたま」そうなったものが多い。にも
かかわらず、まるで自分たちの手柄のように
誇るのはいかがなものか。

特に、ヤジに反応して「静かに」というくせ
に、自分もヤジを飛ばすという品性の無さ。
また、ちょっと煽られるとムキになって反論
する子どものような態度。これが一国の総理
大臣かと情けなくなる。しかも、解散の機会
を伺っているとの報道もある。今は「我が世
の春」かも知れないが、いつまた風向きが変
わるか分からない。ちょっとしたきっかけで
支持率が急落することもあり得るのだ。特に、
株価などが急落し、物価が急騰するなど暮ら
しに響く変化があった時は、必ずや時の政権
に批判が集まるものだ。そうなってから焦っ
ても、風向きはなかなか変わらない。

今、あまり傲慢な態度で居ると、大きなしっ
ぺ返しが来ると覚悟した方が良いと思う。


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子どもに(若者に)優しい自治体は、高齢者にとって優しくない!? [怒!]

とある首長が、子どもに優しい自治体、若者
の住みやすい自治体を標榜している。そう、
この人である。

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フィンランドのネウボラを真似して「妊娠期
からの切れ目の無い子育て支援」をやるそう
だし、生きづらさを抱えている若者に「寄り
添う」政策を展開するのだそうである。
ところで、住民の中で一番多数派の高齢者や、
それがしたちのような高齢者予備軍に対して
は何をしてくれるのか?あまり目立った政策
は打ち出されていない。住み慣れた町で住み
続けられるように!というスローガンが小さ
く書かれていたが、実はこれは前の首長が提
唱したスローガンである。一番納税している
層と、今まで納税してきた層には優しくない。

また、選挙で投票してきた層についてもあま
り優しいとはいえない。これから先、子ども
や若者が自分に投票してくれるとでも思って
いるのだろうか?いやはや、そこまで長期政
権を狙っているのかね。道路が狭いし、地震
に弱そうだし、高齢者が入れる施設は民間の
お高いホームばかり。こんな状態の自治体で、
子どもや若者に肩入れしている場合だろうか?
こういうのを「的外れ」という。

その的外れの人に期待して、選挙で票を入れ
た貴方。貴方がもし大人なら、あまり大切に
されていませんよ。次回はよく考えてから投
票した方が良いと思いますよ!本当に。

不能欠損という制度 [雑記]

これは純粋なる「役所言葉」である。保育料
や国保料といった債権を払わない人が居ると、
行政だって当然に「督促」や「催告」を行う。
それでも払わないと、時効になって債権を放
棄せざるを得なくなる。債権を放棄して、予
算決算から除外する行為を不能欠損というの
である。

たとえ払えない理由があって、それを申告し、
分割払いにするなどの手立てを取れば、健康
保険も保育園もちゃんと利用することができ
る。しかし、中には逃げ得があるのも事実で
ある。この債権を放棄する行為にかみつく輩
(アホな議員)が居る。曰く、「きちんと取
るべきものを取らないというのは、公平性に
欠ける」「ちゃんと払っている人たちにどう
説明するのか」等々。

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では、本気で取り立てるとどうなるか。税金
については割に本気で債権管理が行われる。
マルサ、と呼ばれる部隊が、滞納者の家に行
って、差し押さえの紙を貼っている姿がテレ
ビに出ることもある。しかし、あの行為で滞
納された金額が全て払われて居るとお思いか?
否、である。家に国税庁の職員が来て、あち
こち見られ、しかも差し押さえをされるとい
うことで「世間体が悪い」と思わせ、その後
の滞納を防ぐ効果は確かにあるだろう。しか
し、あの部隊がフルに活動したとしても、滞
納額全額を差し押さえるのは困難だし、それ
にかかる経費の方が滞納額を上回りかねない。

つまり、きちんと取り組むべきではあるが、
小額の滞納まですべてしゃかりきになって債
権管理をするというのは無理であるし、無駄
であるということである。債権管理をするく
らいなら、払わない人間に医療も保育も受け
させないという、鬼のような対応をする方が
まだ効果があるだろう。しかしそれは一方で、
人間らしい生活を奪うということでもある。
人権とのバランスもまた大切にしなくてはな
らない。その辺の感覚をしっかり持たないと、
地方議員であってもその無知さを笑われるこ
とになるぞ!!!

消えるデパート [雑記]

子どもの頃、デパートへ行くのが楽しみだっ
た。何かを買ってもらうからではない。あの
雰囲気が好きだった。デパートの食堂で食べ
るスパゲティミートソースは、大人の味がし
た。子どもにも丁寧に接する店員さんの姿も
好ましかった。

しかし、時代は変わっている。このところ、
そのデパートの撤退が相次いでいる。地方都
市だけではない。関西圏や首都圏の駅前にあ
るデパートが次々に消えていく。以前住んで
いた八王子には、多い時には3軒ものデパー
トがあったが、駅と一体化した「そごう」が
出来てから次々に撤退し、そのそごうも先日
閉店してしまった。50万都市でもそんな具
合である。
品質より値段、接客より品数なのだろうか。

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今や、都心に行かないとデパートが無い、と
いった状況になってきている。値段は安いが
無機質な量販店は大嫌いだ。そんな店ばかり
になっていくと、買い物をする気にもならな
い。あの温かさに満ちた空間を何とか守って
もらいたいものである。

ミサイル防衛 本当に出来るのか? [放言]

結論から書いてしまう。「無理!」である。
北朝鮮のミサイルが脅威だということで、韓
国では米軍に迎撃ミサイルシステムの配置が
検討され、日本ではイージス艦の迎撃ミサイ
ルと地上からの「PAC3」の二段構えで迎
撃する体制を取っている。しかし、北朝鮮が
所有するミサイルは数百発と言われ、その内
の一割でも発射されたら打つ手が無くなる。

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しかも、高高度まで打ち上げる技術も確立し
つつあるようなので、イージス艦のシステム
はもしかすると無力化するかも知れない。
PAC3だって、理論上は飛んでくるゴルフ
ボールにゴルフボールをぶつけようというシ
ステムである。当たる方が不思議なものであ
る。しかも数が圧倒的に少ない。多数飛んで
きたら、対応不能に陥る。つまり、ミサイル
は撃たれたら終わりである。撃つ前に潰すか、
それとも撃たせないように政治で押さえ込む
か、いずれかしか無いのである。もちろん、
撃てば必ず報復されるので、撃つにはかなり
の覚悟が必要だろう。しかし、あの国の場合、
ヤケになって撃たないという保証は全く無い。
外交や制裁で押さえ込み、あの国が自壊する
のを待つしかないのだろうか。誠に憂鬱な隣
人である。

暴言ですが、再び! [放言]

またまた暴言だが、再び主張したい。「学割
かつ親の金で電車に乗っている児童生徒ども。
座席に座らず立って居ろ!」

目の前にお年寄りが立ってよろよろしている
のに、ゲームに興じて気づかない(或いは、
気づかないフリをしている)ガキ。誰のおか
げで電車に乗っておるのか?自分では一銭も
払わず、仕事で汗も流さないくせに、座って
いるんじゃない。お前たちに座る権利は無い。
学校で、そういうことをきちんと教えるべき
である。そうでなければロクな者に育たない。

ゲームをしながらの会話も、実に下らないも
のばかりである。うるさいし、わけがわから
ないし、うろうろして目障りだし。
遠距離通学ならともかく、1駅2駅の利用な
ら、親のためにも歩け。一番体力が付く時期
である。歩け、歩けと言いたい。できれば走
れ。学校が休みになると、実に平和を感じる。
新学期になって、マナーの悪いガキが増える
ときは実に憂鬱である。

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繰り返す。学割のガキは立ってろ!!

二匹目のドジョウはたぶん居ない [苦言]

大阪府の松井知事が、2025年の万国博覧
会を大阪に誘致したいと表明した。1970
年の万博を覚えている身としては、ちょっと
複雑である。会場は千里丘陵ではなく、湾岸
部の「夢洲(ゆめしま)」だそうである。

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前回の大阪万博は、確かに大阪経済に良い影
響を与えてくれた。交通網が整備され、街中
のインフラが良くなり、さらに治安も良くな
ったように感じた。高度成長期の上向きの時
だからこそ、そうした相乗効果が生まれたの
だろう。人類の進歩と調和というテーマは、
行列の辛抱でかき消されたように思うが、確
かに新しい風は感じられた。

しかし、今回はどうか。既に2020年の東
京オリンピック・パラリンピックの効果は消
滅しかけているだろうし、今以上に少子高齢
化は進み、産業は空洞化しているだろう。
人口も減少に転じ、大阪は膨張よりも縮小、
コンパクト化へと向かうべき時期になってい
るはずである。そういう時期に、未来を志向
したイベントをやってどうなるのだろうか?
たぶん、前回のような集客や興奮は生まれな
いと思う。

大阪府が今やるべきことは、財政を立て直し、
健全経営にして、誰もが住みやすい町を実現
していくことだと思う。浮かれている場合で
はないと思う。

二匹目のドジョウはたぶん、いや絶対にその
場所には居ない!!!

政教分離についての大きな誤解 [放言]

とある地方議会の委員会質疑で「職員が神社
で玉串奉奠をしていたのは憲法に定める政教
分離に違反している!」と主張している議員
が居た。とんでもない誤解である。
玉串奉奠などの行為=違憲、ということには
ならない。

そもそも、憲法の政教分離の原則は、戦前の
国家神道による他の宗教への弾圧と、国民へ
の国家神道信仰の強制を受けて、そうした政
治による思想や宗教の押し付けを反省して規
定されたものである。だから、小泉純一郎首
相が靖国神社の真榊料を納めて参拝した行為
について、「違憲」という判断が下ったので
ある。国家神道のまさに先鋒的存在であった
神社に、現職(だった)総理大臣が参拝する
という行為自体を、政治の宗教への介入と見
たのである。

ところが、前出の玉串奉奠は地域の鎮守様の
祭礼に参加した職員が行ったもので、しかも
彼らは懇親会である直会に出るためにその祭
礼に赴いたのである。それを「政教分離に違
反」というのは言いすぎだろう。
私たちの生活の中には、正月に餅を食べるこ
と、おせちを食べることから始まり、雛祭り、
端午の節句、クリスマスに到るまで、宗教に
由来するさまざまな行事が存在する。そうし
た「世俗化」した行事までを政教分離の対象
にしているものではない。現に、現在の通説
である「津地鎮祭大法廷判決」は、玉串奉奠
を含んだ地鎮祭そのものを世俗化した行事と
しており、違憲とは判断していない。

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こんなことも知らずに、一方的な思い込みで
地域と懇親を深めようとした職員たちを貶め
る、そんな議員は辞表を書け。

ノーベル賞ウィークに思う [雑記]

毎年、ノーベル賞が発表される時期がやって
きた。ここ数年、日本人の受賞が続き、今回
も最初の医学・生理学賞で大隅良典さんが単
独受賞を決めた。日本人の単独受賞は3人目
で、29年ぶりの快挙だという。

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日本の研究者が、科学の基礎研究に大きく貢
献し、その研究から多くの派生した医学上の
発見、新薬の創造、病気の克服などを生み出
しているわけである。号外が配られるほどの
大ニュースになり、それを受け取った人々は
日本人としての誇りを取り戻したような笑顔
を見せた。

でも、ちょっと待ってほしい。そんな日本国
は研究者たちに優しい国なのか?発光ダイオ
ードの中村教授は、企業と仲違いしてアメリ
カに根拠地を移し、また、大学などの研究費
が少ないために、山中教授などは寄付を募る
ためにマラソンを走ったりもしている。企業
の研究費に比べて大学などの基礎研究への投
資額が少ないのが日本国の実情のようだ。
しかし、企業での製品開発についても、大学
等の基礎研究があってこそのものではないだ
ろうか。むしろ、企業などが大学へ出資して、
基礎研究を支援すべきものではないかと感じ
る。すぐに製品になるような研究だけが大切
にされているような気がする。

さらに、技術大国を目指すのであれば、国も
もっと研究者に手厚い支援をするべきであろ
う。ノーベル賞の時だけ、研究者をもてはや
すのではなく、毎年毎年の基礎研究にもっと
もっと予算をつぎ込んで、支援すべきなので
ある。そうでないと、資源の無い島国はその
うち沈没を始めるに違いない。

「ローマクラブ」資源枯渇の嘘 [怒!]

30年くらい前だっただろうか?「ローマク
ラブの提言」とかいう本が、えらく注目され
たことがあった。曰く「今のままで大量消費
していたら、資源が枯渇し、人類は滅亡の危
機にさらされる」というものだった。

例えば、石油なら30年で資源が無くなる、
石炭なら何年、鉄鉱石なら何年、ウラン鉱石
なら何年・・・と具体的な数値を挙げて、こ
のまま資源を節約しないで生産活動をすると、
人類は危機に瀕する、と警告したのである。

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では、その通りになったのか?否、である。
石油はまだまだ出ているし、シェールオイル
などという新資源も登場している。他の鉱石
類についても枯渇したということは無い。
むしろ、ウラニウムを使いすぎて、そのごみ
の処理に困っているくらいだ。これはどうい
うことなのか?おそらくは、当時の技術によ
る資源量の予測が大幅に狂っていたというこ
とだろう。それでも、いつかは枯渇する資源
が出る。日本の佐渡金山が金鉱石を掘りつく
したように。だから、資源は大切に使うべき
だし「都市鉱山」のように資源がリサイクル
できるものは回収して使わなくてはならない。

一方で、ごみという点ではむしろ危機的状況
にある。例えば、東京都ではごみ減量に努め
ているが、最終処分場である埋立地の容量は
あと50年で一杯になる。その後の最終処分
場は目処が立たない。
もっと大変なのが「核のごみ」である。今、
日本では躍起になって原子力発電所の再稼動
に取り組んでいるが、その使用済み核燃料の
処分方法が確立していない。福島第一原発の
デブリを含め、最終処分場を早急に作る必要
があるが、まったく未定のままである。この
状態で、原子力を使うというのは地球のごみ
を増やすだけではないか?

資源の心配よりも、そこから生まれる廃棄物
の処理の方が実は重要なのである。

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