津川雅彦氏 [合掌]
また一人、役者さんが天に昇った。この
人の思想的な面は好きではないが、演技
を通じて出てくる男の色気というものを
強く感じていた。コミカルな役もこなし、
一方で必殺などでは徹底的なワルを演じ
ることもあった。
時代劇マニアから見ると、徳川家康とい
うイメージが強い。独眼竜政宗、葵徳川
三代などで家康役を演じたほか、確か映
画の「戦国自衛隊」でも津川さんが徳川
家康、兄の長門裕之さんが本多正信を演
じていたのを覚えている。
あとは、伊丹十三監督の「●●の女」シリ
ーズ。中でも「スーパーの女」でのスー
パーマーケットの気弱なオーナーの役が
ぴったりと嵌っていた。
こういう役者さんはもうなかなか出て来
ないだろうなぁ。ご冥福を祈る。
合掌
人の思想的な面は好きではないが、演技
を通じて出てくる男の色気というものを
強く感じていた。コミカルな役もこなし、
一方で必殺などでは徹底的なワルを演じ
ることもあった。
時代劇マニアから見ると、徳川家康とい
うイメージが強い。独眼竜政宗、葵徳川
三代などで家康役を演じたほか、確か映
画の「戦国自衛隊」でも津川さんが徳川
家康、兄の長門裕之さんが本多正信を演
じていたのを覚えている。
あとは、伊丹十三監督の「●●の女」シリ
ーズ。中でも「スーパーの女」でのスー
パーマーケットの気弱なオーナーの役が
ぴったりと嵌っていた。
こういう役者さんはもうなかなか出て来
ないだろうなぁ。ご冥福を祈る。
合掌
獅子の最期 [合掌]
菅原文太さんが亡くなったそうである。享年81歳。
つい先日、高倉健さんが亡くなったばかりで、銀幕
のスターが次々に旅立ってしまっている。
菅原文太さんは、最近有機農業を精力的に行ってい
たそうである。悩める若者たちを雇用し、安全安心
な農作物を作ることに生きがいを感じていたそうで
ある。
以前、郵政選挙の際、亀井静香議員の応援弁士とし
て登場した文太さんは、広島で「私は仁義なき戦い
という映画を撮っていましたが、亀井さんとともに、
仁義ある戦いをしましょう。」と、独特のしわがれ
声で演説をしていた。その落ち着いた雰囲気の演説
を今も思い出す。
1980年に、文太さんはNHKの大河ドラマである
「獅子の時代」で主演を1年務めた。映画の制作を
1年休むことになるので、映画会社としても英断で
あっただろうし、NHKにしても任侠映画に出てい
る人を主演にするのは英断であっただろう。
しかし、この撮影で会津の下級武士を演じたことで
菅原文太という役者さんの幅は確実に広がったこと
と思う。
獅子は今、天に召された。最期まで弱音を吐かず、
頑張りとおしたそうである。
菅原文太さんはまさに、獅子の化身であったと思う。
合掌。
つい先日、高倉健さんが亡くなったばかりで、銀幕
のスターが次々に旅立ってしまっている。
菅原文太さんは、最近有機農業を精力的に行ってい
たそうである。悩める若者たちを雇用し、安全安心
な農作物を作ることに生きがいを感じていたそうで
ある。
以前、郵政選挙の際、亀井静香議員の応援弁士とし
て登場した文太さんは、広島で「私は仁義なき戦い
という映画を撮っていましたが、亀井さんとともに、
仁義ある戦いをしましょう。」と、独特のしわがれ
声で演説をしていた。その落ち着いた雰囲気の演説
を今も思い出す。
1980年に、文太さんはNHKの大河ドラマである
「獅子の時代」で主演を1年務めた。映画の制作を
1年休むことになるので、映画会社としても英断で
あっただろうし、NHKにしても任侠映画に出てい
る人を主演にするのは英断であっただろう。
しかし、この撮影で会津の下級武士を演じたことで
菅原文太という役者さんの幅は確実に広がったこと
と思う。
獅子は今、天に召された。最期まで弱音を吐かず、
頑張りとおしたそうである。
菅原文太さんはまさに、獅子の化身であったと思う。
合掌。
広島に原爆が投下された日 [合掌]
今日は8月6日。広島に世界で始めて原子爆弾が
投下された日である。その破壊力は凄まじいもので、
多くの人が犠牲になった。そして長崎にも投下。日本
は唯一の被爆国となった。
それがしの父は、昭和20年の後半に就職試験の
ために博多から上京した。その途中、列車が広島を
通過した。その時、まだ広島では鬼火のような炎が、
ちろちろと燃えていたという。その光景が今も忘れた
ことは無いという。
にもかかわらず、その後世界は原水爆の開発に
血道を上げて、あちこちで実験を繰り返し、地球を
汚染していった。被爆国である日本ですら、原子力
の平和利用の名のもとに原子力発電所が建設され
ていった。その結果、現在福島第一原発の事故で
手痛いしっぺがえしを受けている。
原子力そのものを否定するわけではないが、核
兵器や原子力発電の燃料のごみを処理する方法
が確立されないまま使用してきたのは疑問である。
アメリカなどは、そのごみを「劣化ウラン弾」という
砲弾に再利用して、世界中に放射能をばらまいて
いる。日本ではいまだ、中間処理場しか無い。今後
たまってきた低レベル廃棄物をどうする気なのだろう。
もう一度、原爆の悲惨さに思いを馳せ、この冥府
から来た物質と向き合う必要があるのではないかと
思う。
投下された日である。その破壊力は凄まじいもので、
多くの人が犠牲になった。そして長崎にも投下。日本
は唯一の被爆国となった。
それがしの父は、昭和20年の後半に就職試験の
ために博多から上京した。その途中、列車が広島を
通過した。その時、まだ広島では鬼火のような炎が、
ちろちろと燃えていたという。その光景が今も忘れた
ことは無いという。
にもかかわらず、その後世界は原水爆の開発に
血道を上げて、あちこちで実験を繰り返し、地球を
汚染していった。被爆国である日本ですら、原子力
の平和利用の名のもとに原子力発電所が建設され
ていった。その結果、現在福島第一原発の事故で
手痛いしっぺがえしを受けている。
原子力そのものを否定するわけではないが、核
兵器や原子力発電の燃料のごみを処理する方法
が確立されないまま使用してきたのは疑問である。
アメリカなどは、そのごみを「劣化ウラン弾」という
砲弾に再利用して、世界中に放射能をばらまいて
いる。日本ではいまだ、中間処理場しか無い。今後
たまってきた低レベル廃棄物をどうする気なのだろう。
もう一度、原爆の悲惨さに思いを馳せ、この冥府
から来た物質と向き合う必要があるのではないかと
思う。