阪神大震災から22年 [雑記]
いろいろあった1995年。その中でも最大
の事件が阪神淡路大震災であろう。まだ、う
ちの嫁さんの両親が健在で宝塚市に住んでい
た時代である。宝塚といえば、震度7の激震
に遭い、旧街道沿いの民家がことごとく崩壊
した場所である。実家はその旧街道のすぐ上
にあり、大変な揺れに襲われたが倒壊は免れ
た。
あの日、何度電話しても掛からず、大いに焦
りながらリダイヤルボタンを押し続けた。
200回目くらいにようやく掛かったのだが、
停電していたのでベルが鳴らず、笛のような
情けない音がしていたのだそうだ。「誰や、
こんな時に笛を吹くのは?」と義母が言い、
義父が「あほ!電話や!!」と気づいたのは
10回くらい鳴らしてから。
そして、「家の中はぐしゃぐしゃやけど、体
は無事や!」と聞いて一気に血の気が戻った
のを覚えている。あんな思いは二度としたく
ない、と思っていたら、2013年には東日
本大震災、そして2016年には熊本地震で
ある。地震国に住んでいる宿命ではあるが、
もうあの日のような血の気の引く思いはした
くないものである。
の事件が阪神淡路大震災であろう。まだ、う
ちの嫁さんの両親が健在で宝塚市に住んでい
た時代である。宝塚といえば、震度7の激震
に遭い、旧街道沿いの民家がことごとく崩壊
した場所である。実家はその旧街道のすぐ上
にあり、大変な揺れに襲われたが倒壊は免れ
た。
あの日、何度電話しても掛からず、大いに焦
りながらリダイヤルボタンを押し続けた。
200回目くらいにようやく掛かったのだが、
停電していたのでベルが鳴らず、笛のような
情けない音がしていたのだそうだ。「誰や、
こんな時に笛を吹くのは?」と義母が言い、
義父が「あほ!電話や!!」と気づいたのは
10回くらい鳴らしてから。
そして、「家の中はぐしゃぐしゃやけど、体
は無事や!」と聞いて一気に血の気が戻った
のを覚えている。あんな思いは二度としたく
ない、と思っていたら、2013年には東日
本大震災、そして2016年には熊本地震で
ある。地震国に住んでいる宿命ではあるが、
もうあの日のような血の気の引く思いはした
くないものである。
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