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糸魚川大火に思う [歴史]

先日新潟県糸魚川市で大火が発生し、140
軒以上の住宅や店舗が焼失した。風の強い日
で、風速は20mを超えたとも言われている。
ニュース映像を見る限り、焼けた地域はまさ
に「木造密集地域」であり、隣家との間隔も
ほとんど無く、建て込んでいるというイメー
ジがあった。また、強風で火の粉が拡散し、
次々に類焼していく中では、消防署や消防団
の必死の消火活動も追いつくものではない。
このニュースを見て、江戸時代のある大火を
思い出した。

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徳川幕府が開かれてから50年ほどの明暦年
間に発生した「明暦の大火」である。この大
火により、せっかく形成されつつあった江戸
の町は灰燼に帰し、江戸城も天守閣が焼け落
ち、御殿などもほとんど焼失するという大規
模火災となった。さらに、死者は10万人
はるかに超えるという大惨事になった。火災
から逃げようとして隅田川沿いに来ても、当
時は千住大橋しかなく渡ることができない。
役人の判断ミスで浅草橋の門が閉められ、そ
こだけで2万人近い焼死者を出した。何しろ、
幕府の権威の象徴である江戸城が丸焼けなの
であるから、幕府としても復興に全力を挙げ
なければならなかった。当時、江戸城の修築
だけでも93万両かかったという。(天守閣
は保科正之の進言により再建を断念した。)

さらに、江戸市民への炊き出しや市街地の復
旧、隅田川への架橋、火除け地や広小路の新
設など、防災都市への取り組みも始まった。
それでも、江戸時代には3年に1度のペース
で大火があり、市街地が多く焼失していった。
木と紙の家ばかりの江戸では少々の防火対策
ではどうにもならなかったようである。糸魚
川の市街も木造住宅が多かったようだが、今
回の火災の復旧に併せて、ぜひ耐火構造の家
を増やしていって欲しいものである。

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