SSブログ

大坂冬の陣で豊臣に勝機はあったのか。 [歴史]

NHK大河ドラマ「真田丸」も最終章に入っ
たようだ。我々は歴史上の「結果」を知って
いるから、豊臣は間もなく滅びる、というこ
とを前提にこのドラマを見ている。でも、本
当に豊臣方に勝機は無かっただろうか。歴史
学者の中でも「既に徳川将軍家は二代目に世
襲しており、大名は全てそれに従っていたの
だから、豊臣家の勝利は万に一つも無かった」
と主張する人がいる。でも、待っていただき
たい。それなら何故、10万もの将兵が大坂
城に集まったのか。彼らは「勝つ」つもりで
居たはずだ。

では、勝つシナリオをひとつ紹介したい。多
分に真田幸村の戦略に近いが、ちょっと進出
する先が違う。幸村は京都を押さえて家康を
待つという戦略だったが、それでは不足であ
る。まず、先制攻撃で伏見を押さえ、さらに
近江に進出する。そして、近江の兵糧をすべ
て大坂に引き上げる。できれば近江国友村を
押さえて、そこで製造している鉄砲や大砲を
全て大坂に運び、職人たちも大坂に拉致する。
さらに、播磨に進出して西国と東国の連絡を
絶つ。こうすると、西国に領地を持つ福島正
則や毛利輝元、黒田長政、加藤忠広(清正の
子)が動揺する。そして、東国から大軍が来
襲したら、瀬田や宇治川、伏見などを拠点に
して防衛しながら後退する。それから大坂城
に籠城しても、十分に間に合ったはずだ。
そうなれば、東軍はさらに兵糧不足、武器不
足となり、大坂城で食い止めつつ、稀に夜襲
をかけて損害を与え、冬が深まるのを待てば、
包囲している側が疲弊してくる。

無題.png

そうなった時点で、「徳川をともに倒そう」
と呼びかける相手が・・・伊達政宗と上杉景
勝である。特に伊達はこの時点でまだ若く、
山っ気も捨てていない。東軍が不利となり、
兵力が大坂に集まっている時点で、江戸を落
としてしまい、戦国の世に戻そうと考えても
不思議ではない。こうして東国でも火をつけ
てしまえば、まだまだ戦えたはずである。
でも、この戦略を行うには「総大将」になる
人物が必要である。その意味で真田昌幸が存
命でなかったのは実に残念。生きていればこ
のくらいのことを仕掛けても不思議ではない。
見てみたかった気もするが、その後の260
年の泰平の世を考えると、歴史の選択は正し
かったのかも知れないね。

nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。