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戦国時代最後の龍「独眼竜政宗」 [歴史]

戦国時代の最後に登場した英傑が、伊達政宗
である。20代で奥州に巨大な領地を得て、
中央政府=秀吉と対峙しようとした。しかし、
小田原攻めの秀吉の陣容を見て、とても敵わ
ぬと考え、無条件降伏する。白衣に十字架を
背負って、小田原に現れた彼を見て、秀吉は
「あと1日遅かったら、その首は胴に付いて
おらぬ。」と言い放ち、これを赦した。しか
し、領地は仙台周辺の60万石余りに減らさ
れ、父祖の地である福島・伊達などは蒲生氏
郷に与えられた。

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さて、その後はおとなしくしていたかという
と、自分の旧領である福島周辺において一揆
を煽動するなど、いろいろと策動していたよ
うだ。その後、秀吉が死ぬと、今度は家康と
接近する。会津には上杉景勝が配置されてい
たので、その背後を突くための勢力が必要だ
った。家康は六男の松平忠輝と伊達の五六八
姫(いろは姫)の婚姻を成立させた。関が原
の合戦には参加していないが、上杉方の福島
城を攻めるなど、徳川方が無事に西上できる
ように動き、上杉軍に追撃をさせなかった。
家康は事前に「この戦に勝ったら百万石分の
領地を授ける」としたお墨付きを与えていた
が、戦後、約束は反故にされた。

彼はさらに策略を巡らすが、なかなかに機会
が訪れない。そして大阪冬の陣。松平忠輝と
ともに出陣した政宗は、乱戦になったら忠輝
とともに大阪城に入城するという、とてつも
ない策を用意していたフシがある。そうなれ
ば、東西の兵力バランスが崩れ、最悪の場合、
徳川方が敗北する可能性もあっただろう。
しかし、皮肉にも真田信繁や後藤基次の奮戦
によって大阪方が優勢のまま、休戦になって
しまった。その後、松平忠輝が改易されたこ
ともあり、大阪を舞台にした一発逆転は夢と
化した。結局、分家を含めた伊達家の石高は
70万石止まり。しかし、よほど悔しかった
のか、彼は新田開発を奨励して、仙台藩は実
高で百万石を超えた。天下は取れなかったが、
まさに戦国最後の英傑は伊達政宗であっただ
ろう。

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